2012年01月23日
持っていなくとも家は家
今冬2度目になるカミさんの帰省。
つまり小生の留守番も2度目になるのだが、これ、今までとは立場が逆転しているのに気が付いた。カミさんと電話で話していて、彼女の言葉の端々に感じられたものがあったのだ。
続きを読む
つまり小生の留守番も2度目になるのだが、これ、今までとは立場が逆転しているのに気が付いた。カミさんと電話で話していて、彼女の言葉の端々に感じられたものがあったのだ。
続きを読む
2012年01月22日
スフィンクスの謎掛けに思う事
朝は4本足
昼には2本足
夕刻は3本足で
夜には8本足
最後の一節は後世フランスで付け加えられたものとも聞くが、人の一生を言い表わしたものだそうだ。
これを憶えていたお陰で、次男の関行きが近付いた2年前頃、思い出した事がある。
それを今更だが、身内の死を意識しなければならなくなった今、備忘の意味も兼ねて、アップしておこうと思うのだ。
続きを読む
昼には2本足
夕刻は3本足で
夜には8本足
最後の一節は後世フランスで付け加えられたものとも聞くが、人の一生を言い表わしたものだそうだ。
これを憶えていたお陰で、次男の関行きが近付いた2年前頃、思い出した事がある。
それを今更だが、身内の死を意識しなければならなくなった今、備忘の意味も兼ねて、アップしておこうと思うのだ。
続きを読む
2012年01月22日
ナイフ8:包丁だってナイフだ2
我が家には、一般的な日本の家庭としては、かなりの本数になると思われる包丁がある。
やはり亭主が道具にうるさくて、カミさんが料理好きだと、こうなるのだろう。結婚以来、鍋釜と共に、増殖する一方なのだ。
続きを読む
やはり亭主が道具にうるさくて、カミさんが料理好きだと、こうなるのだろう。結婚以来、鍋釜と共に、増殖する一方なのだ。
続きを読む
2012年01月21日
とりあえず……なのだと信じたい
お子ちゃま祖父さんの肺癌手術(左肺の部分又は全切除手術)が延期になった事は、前述した。事実上、無期延期である。
どういう事なのかと云うと、祖父さんの手術で残す予定になっていた、もう片方の肺(右肺)が、12月27日の内視鏡検査(生検)で収縮したのだが、これは検査のために人工的に気胸を起こさせたせいであり、右肺と胸郭の間に内視鏡から送り込んだ空気は、検査が終われば排気するのだが、それでもすぐにはまた膨張しなかったのである。
それでも、検査直後なら、それもありがちな事だと考えられ、医師も、術後の体力回復を待つ期間(約2週間)内に、再膨張して正常な呼吸能力を取り戻せると考えていた様だ。
だが、本手術のための再入院の予定日である1月7日になっても、右肺は元に戻らなかったのだ。
癌切除は、左肺の大部分を切除・摘出するので、残る右肺の呼吸能力(酸素交換能力)が正常でなければ、即座に生存不能になる。祖父さんという個体全体の呼吸能力の半分を切り取ってしまうのだから、残り半分が元気でなければ、元も子も無いのである。
医師の判断はこの時点で、放射線療法に切り替えて、癌に侵食されているが呼吸能力を維持している左肺を温存するというものになったのである。実は、祖父さんの左肺の大部分は、機能上は健全なのだ。癌化している組織が、気管支が左肺に接続する部分周辺なので、手術となると、左肺全摘出になってしまうのである。
そこで、7日にはとにかく、祖父さんは入院せず、帰宅したのであった。
その日の電話では、祖母さんの支離滅裂な説明に訳が判らなかったカミさんは、10日に再説明を受けに同伴した義妹から、電話で説明されるまでの3日間、気を揉まねばならなかった。
続きを読む
どういう事なのかと云うと、祖父さんの手術で残す予定になっていた、もう片方の肺(右肺)が、12月27日の内視鏡検査(生検)で収縮したのだが、これは検査のために人工的に気胸を起こさせたせいであり、右肺と胸郭の間に内視鏡から送り込んだ空気は、検査が終われば排気するのだが、それでもすぐにはまた膨張しなかったのである。
それでも、検査直後なら、それもありがちな事だと考えられ、医師も、術後の体力回復を待つ期間(約2週間)内に、再膨張して正常な呼吸能力を取り戻せると考えていた様だ。
だが、本手術のための再入院の予定日である1月7日になっても、右肺は元に戻らなかったのだ。
癌切除は、左肺の大部分を切除・摘出するので、残る右肺の呼吸能力(酸素交換能力)が正常でなければ、即座に生存不能になる。祖父さんという個体全体の呼吸能力の半分を切り取ってしまうのだから、残り半分が元気でなければ、元も子も無いのである。
医師の判断はこの時点で、放射線療法に切り替えて、癌に侵食されているが呼吸能力を維持している左肺を温存するというものになったのである。実は、祖父さんの左肺の大部分は、機能上は健全なのだ。癌化している組織が、気管支が左肺に接続する部分周辺なので、手術となると、左肺全摘出になってしまうのである。
そこで、7日にはとにかく、祖父さんは入院せず、帰宅したのであった。
その日の電話では、祖母さんの支離滅裂な説明に訳が判らなかったカミさんは、10日に再説明を受けに同伴した義妹から、電話で説明されるまでの3日間、気を揉まねばならなかった。
続きを読む
2012年01月14日
2012年01月01日
賀正2012
さて2012年、つまり平成24年の元旦となった。
まだ起きているヒト
明けましておめでとうございます。
もう寝ているヒトにも、あらためて云っておこう。
今年が昨年より、より良き年でありますよう。
で、5人中4人が年越し蕎麦を喰い、新年一発目を祝ったところである。(味馬鹿次男は寝ている。やはりコミケはきつかったと見える)
そろそろひと寝入りして、初売りに備えよう。
おやすみなさい。
そして、本年もこのイカレたおぢさんのBlogを宜しくお引き回しのほど、よろしゅうお願いつかまつります。
壇那院
まだ起きているヒト
明けましておめでとうございます。
もう寝ているヒトにも、あらためて云っておこう。
今年が昨年より、より良き年でありますよう。
で、5人中4人が年越し蕎麦を喰い、新年一発目を祝ったところである。(味馬鹿次男は寝ている。やはりコミケはきつかったと見える)
そろそろひと寝入りして、初売りに備えよう。
おやすみなさい。
そして、本年もこのイカレたおぢさんのBlogを宜しくお引き回しのほど、よろしゅうお願いつかまつります。
壇那院
2011年12月31日
行く年2011
1435時、立川駅前にて、やっと帰って来たカミさんと末っ娘を迎えた。
モエ長男は直前にバイトに出掛け、味馬鹿次男は30日早朝からコミケ(日本最大のオタクの祭典)参加で湾岸に出掛けていたが、夜には全員そろった。
今、年越し蕎麦の支度で、カミさんは天麩羅を揚げている。
この後、蕎麦を茹でるので、小生の出番だ。
さて、52年生きて来た。そんな小生にも、今年は激動の1年であったと思う。
来年、少しは平和で安心出来る時が来る事を願って、この1年を締めくくりたい。
そして、このささやかなBlogを読んで下さった総ての方々にもまた、良き新年が訪れますように。
壇那院
モエ長男は直前にバイトに出掛け、味馬鹿次男は30日早朝からコミケ(日本最大のオタクの祭典)参加で湾岸に出掛けていたが、夜には全員そろった。
今、年越し蕎麦の支度で、カミさんは天麩羅を揚げている。
この後、蕎麦を茹でるので、小生の出番だ。
さて、52年生きて来た。そんな小生にも、今年は激動の1年であったと思う。
来年、少しは平和で安心出来る時が来る事を願って、この1年を締めくくりたい。
そして、このささやかなBlogを読んで下さった総ての方々にもまた、良き新年が訪れますように。
壇那院



